たばこ人生
たまに寝入る前に布団の中で目を閉じて考える事があります。何を考えて
いるのかと言えば、たばこを吸っていた当時の自分の姿を思い出すのです。
別にその姿を想像したからと言って慌てて小銭を持ってコンビ二に駆け込む
つもりはありません。昔の自分自身のたばこを吸っている姿を思い浮かべ
ては不思議な気持になってしまっているんです。
何が不思議なのか?これは表現的に難しいと言えば難しいのですが・・・・・・
つまりはこれほど今はたばこの存在自体に嫌悪感を抱くのにもかかわらず
当時は何であれほどにもたばこに対する愛情のようなものがあったのか。
なくてはならない何よりも大切な存在だったのか・・・・
まあ簡単に言えば「ニコチン中毒」から引き起こす麻薬作用なんですが
たばこを吸っていた当時はそれとは別の所に何か重要な作用が働いていた
んだと思います。肉体的な依存症だけならまだ禁煙の道も近いでしょうが、
そこに個々の複雑な精神的な要素がからんでくるとなかなか喫煙の衝動時
に手を止めることは困難なことです。
たばこを吸う行為・・・これは100人いたら100通りのたばこ人生があります。
たばこをやめないかぎりたばこ人生は当然終わりがないものになります。
布団の中で感じた不思議な気持もたばこをやめたからこそ、たばこ人生から
卒業したからこそ感じる部分だと思います。
別に不思議という表現を使わなくてもたばこを吸っていたから愛情があって
たばこをやめたから嫌悪感を抱いてる・・・・・・ただそれだけのことなんで
しょうが私の言葉で表現すれば「不思議」なんです。人間ってここまで
正反対の気持が湧いてくるものなのでしょうか?
例えば好きだった女性のことを何かのきっかけで大嫌いになってしまったと
します。そのときはいくら大嫌いになってしまったとしても後々時間が経過
するにつれてなんとなく「でも良いところもあったよなあ」みたいな良い思い
出につい転換してしまったりした経験もあるでしょう。でもたばこに至っては
良い思い出なんか全くよみがえらず、ただ嫌悪感のみがあらわれてくるん
です。あれだけやめられずにいたのに何で?あれだけそばに置いておかなけ
ればいけなかったのに何で?やはりそれは呼吸の一部のような存在だった
からかもしれません。なくてはならないもの。つまりは当時は自分にとっての
必要悪だったんです。
でも今は必要ではなくなったので悪だけが残ってしまっているのだと思います。
必要でなくなる=自分の人生において価値がなくなる。つまりはもともと人生に
おいて必要でないものを体が強引に中毒を起こしていたので相当なストレスを
心底で感じでいたんです。体が望んでいなかった人生を歩かされていたから
こそやめた後にその感情が溢れ出してきたと。その体と心の微妙なバランス
がやめた後の私の心を不思議な方向に向かわせているのかもしれません。
あくまでも私なりの表現なので他のたばこをやめた方の表現と違うところが
あるでしょうが、少なくともこれだけは言えます。
たばこは生活の、いや人生の一部では決してありません。何故かと述べま
すと・・「たばこをやめて月日が流れても、これっぽっちも良い思い出が
ないから」。そもそも必要でなかったもの・・・それが結論です。
(ただしいろんな経験はさせてもらったかな 笑)
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